glicoトップページへ 大阪 道頓堀のグリコ
グリコネオンの紹介
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ネオンの点滅パターン
2002年W杯開催記念ユニフォーム
大阪市指定景観形成物に指定
2003年 阪神タイガースのユニフォームに
グリコネオンができるまで
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枠組みの取り付け
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グリコネオンの歴史
大阪ミナミの道頓堀で夜空に輝くグリコネオンは、はじめて点灯したときから
大阪の街の象徴として、たくさんの人々に愛されてきました。
初代 昭和10年(1935年〜)
大阪道頓堀川、戎橋のそばに初めてグリコのネオン塔が立ったのは、1935年(昭和10年)。
高さ33mを誇るネオン塔は、トレードマークのランナーとグリコの文字を6色に変化させ、同時に毎分19回点滅する花模様で彩ったものでした。
当時としては型破りのネオンで、一躍大阪ミナミの名物となりました。
2代目 昭和30年(1955年〜)
1943年(昭和18年)、戦況が厳しくなり鉄材供出のため撤去されてしまいましたが、戦後の1955年(昭和30年)、2代目が再建されました。
ネオン塔は砲弾型の下部に特設ステージを持つユニークなもので、そこでは大きな人形のワニ君がピアノをひいたり、人形劇を演じたり、ロカビリー大会を催したりしました。
3代目 昭和38年(1963年〜)
1963年(昭和38年)には3代目にバトンタッチ、噴水ネオン塔になりました。
12トンの水が、トレードマークの中心部にある150本の水車状のノズル(高さ18m、横8m)から噴き出し、12色のランプ400個がそれを照らして、きれいな虹の模様を描きました。
落下した水は、またポンプで上のタンクに戻す仕掛けになっていました。
4代目 昭和47年(1972年〜)
1996年1月21日(日)の午後23時30分を最後に消灯され、2月5日には撤去工事が完了した4代目は、高さ17m、横10.85mで72年(昭和47年)に建設されました。
バックになっている陸上競技場のトラック部分を点滅させ、トレードマークのランナーに躍動感を持たせたネオンでした。
このネオン塔は、日没から午後11時までネオンが点灯し、競技場の中央コースからゴールインするランナー姿が川面に映え、看板を背景に記念撮影するほどの名物看板になっていました。
5代目 平成10年(1998年〜)
隣接するビルの改装に伴い、1996年(平成8年) 1月21日に消灯し、その翌日から一時撤去していた大阪道頓堀のグリコネオンが、1998年(平成10年) 7月6日、約900日ぶりにデザインも新たに復活しました。